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三方の山が松に覆われていた頃の「まなごの里」 |
市主催のマラソンコースにもなっています |
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まなごの里の四季 |
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昔の風景 |
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いつの頃からか、村人にまぎれ、眼を患った幼娘(おさなご)が母に手を引かれてお参りする姿がありました。長かった戦乱も止み平和が訪れました。今はお参りする村人の姿はなく、お地蔵様は落ち葉に埋もれ、あの母娘(おやこ)の姿と共に人々の記憶の彼方へと消え去りました。 時は流れて幾星霜、里の山桜は芽吹きはしましたが、まだ吹く風寒い水辺にお地蔵様を洗い清め、静かに手を合わせる見知らぬ老婆がおりました。村長(むらおさ)夫婦は一夜の宿にと水辺の館に招き、老婆の身の上話に耳を傾けるのでした。 --- 昔、戦(いくさ)に駆り出された父の無事を祈り、母と毎日のようにこのお地蔵様に手を合わせました。母は逝き、父も帰ってきませんでした。寄る辺もなく、父の縁者であったという商人に引き取られました。「きっと会える」との母の言葉を固く胸に秘め商人について諸国を巡り、いつしか眼の病も癒えました。しかしとうとう父には巡り会えませんでした。残された人生もあとわずか、旅の終わりに今は故郷のこのお地蔵様の前で、両親と共に暮らし貧しくとも楽しかった昔を偲んでおりました。私は落ち葉に埋もれたお地蔵様を見て驚きました。お地蔵様の目がなかったのです。お地蔵様はその目を私に与えてくださったのだと思います。そしてお地蔵様のあの笑顔は、「きっと会える」と言った、優しかった母の様でした --- 村長夫婦の目から止めどもなく涙が溢れ落ちました。もうとうに日も暮れたというのに、三人は囲炉裏を囲み、手を取り合い、夜を徹して語り明かしました。やがて館には幼娘とその両親の楽しそうな声が響き渡っていました・・・。 それからというもの、人々はそのお地蔵様を誰言うともなく、「眼福(がんぷく)地蔵」と呼ぶようになりました。 |